【公開】中編Youの人生。医学部再受験を決めたとき、何を考えていたのか。

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国立大医学部に通う一児の父。受験情報、医学部生活、医学雑学、雑記などを配信するブログを運営しています。これまでの経緯として、高校卒業後は、体育学部に進学し、体育会のテニス部に所属していました。教員免許も取得しましたが、民間で営業をしたいと大手ハウスメーカーに就職しました。ブログタイトルにあるように「テニス×体育教師×住宅営業×医学生×パパ」と様々な経験をもとに、皆さんのためになる情報を発信していきます。

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【公開】Youの人生。医学部再受験を決めたとき、何を考えていたのか。中編

前回は大学4年時の⑥就活までをご紹介しましたが、
長くなったので、中編として続きを紹介します。
今回のトピックは↓こちらです。
・新人営業マン誕生
・全国新人部門1位へ
・新人の栄光と影
・住宅営業への葛藤
・医師になる…??
・医師になる!
・思い返すと…

新人営業マン誕生
※①~⑥は前回の投稿にあります。
⑦戸建住宅営業 全国新人部門1位になる

筑波大学を卒業後、大手ハウスメーカーに入社しました。

社会人1年目はとにかく働きました

体育専門学群の卒業ですから、建築の知識はゼロだったのでひたすら勉強して、一生懸命営業しました。

私の仕事を分かりやすく説明すると、住宅展示場のモデルハウスにいる営業マンです。
モデルハウスを案内しながら自社で住まい計画を進めてもらえるように営業します。

入社後、4,5月は研修期間で新入社員は本社や合宿所で自社商品の学習、営業スキルの研修を受けました。

6月からそれぞれ全国の部署に辞令が出て、私は千葉(船橋、市川エリア)の支社に配属になりました。

営業ですから、1年目から当然ノルマがつきます。

私のときは、新入社員一律で、半期で1棟ずつ(年間2)契約することが目標(ノルマ)でした。

とは言っても、新入社員がいきなり接客を任されることもなく、6,7月はほとんど商談は出来ません。

このころは、毎週土日は販売中の売地(更地)1人でテントを張って、1日中道ゆく人に声を掛けたりしていました。笑

また、昔、展示場に来ていただいたお客様に一件ずつ電話営業もしてました。
アポが取れれば大喜び状態です。

ほとんどの場合、会話になることもありません。住宅展示場に行ったことすら覚えてない方もたくさんいます。笑

こんな状態でどうやって契約出来るのか検討もつきませんでした。
ただ来たるべきときのために、色々と営業の練習はしていたんですよね。

8月になると、住宅展示場にも入れさせてもらい接客することが少しずつ増えました。

全国新人部門1位へ

半期の締めの9月に大きな出来事が。。
素晴らしいご縁があり、
2組のお客様とご契約させていただきました。
※単月2棟はなかなか無いことです。

この早い時期にこのような経験が出来たことで、下期も勢いよく仕事が出来ました。

下期では10月、12月、3月にそれぞれ一棟ずつ、計5棟のご契約をいただきました。

私の年は、新人営業マンが全国で100人ほど採用されていて、計5棟の成績で新人部門全国1を獲ることが出来ました。

たしか新人営業のうち、1年間のうちで契約を取れたのは半数(50)くらいで、複数棟数の契約はまたその半数(25)くらいだったと記憶しています。

とにかくお客様に恵まれ、同僚の皆さんの助けに感謝しかありません。

これまで何かで1位になったことがない私でしたが、新人1年目の途中から1位になることを意識してやっていたので、すごく嬉しかったです。

翌年には、褒賞旅行として46日のハワイ旅行に招待していただき、もう最高でした。

本当に前の会社では良い思いをさせていただきました。

新人の栄光と影

側から見たら順風満帆に見えるサラリーマン生活。

しかし、その代償もかなり大きかったのです。

1年目に5件もの契約をいただき、大変ありがたかったのですが、営業というものは契約をいただけばいただくほど、仕事の量はどんどんと増えていきます。

もう何年も経験のあるベテランならば、効率よく多くの仕事をこなせるのですが、私は何もかもが初めての経験なので、すべての作業を先輩に聞きながら、失敗を繰り返しながら進めなくてはなりませんでした。

注文住宅というのは、契約してすぐ家が建つ訳ではありません。

そこから細かなプラン(間取り)の修正、水廻りの設備や部品の種類・色、壁紙、照明、カーテン、エアコン、庭などの外回り、住宅ローンの融資の手続きなどなど、たくさんの打ち合わせ(1,2ヶ月)が必要です。

そこから着工し、引き渡しまで3,4ヶ月かかります。

とはいえ営業なので新規のお客様も同時並行で探さなくてはなりません。

会社の先輩の力が必要な仕事を定時のうちに終わらせて、自分だけでやれる仕事は全て後回しにするしかありませんでした。。

結果、1年目の10月以降は、日付が変わるまでに家に帰れれば早い方で、ほぼ毎日深夜1,2時ころの帰宅でした。
残業
120h/月のときもありました

今振り返るともっと自分優先に早く帰る努力をすべきだったと思います。
遅くなることに慣れていて、感覚が狂っていました。

当時の彼女(今の妻)はメガバンクに勤めていました。

銀行なので、当然土日祝休み
私は
,水休み、祝日出勤。

休みが合わない。

妻 6時起き
妻 
7時出発
私 
8時起き
  830分出発
  21時帰宅
妻 
23時就寝
私 
26時帰宅、ばたんきゅー

これを見ていただくと分かると思いますが、私と妻は当時、起きている状態で顔を合わせることがありませんでした。

一緒にご飯を食べるのは、私が休みの火、水の夜のみです。

そろそろ2人で将来を考えていた頃でしたが、当時は一体この生活は2人でいる意味があるのか、疑問になるような生活でした。

社会人2年目になり、当然1年目の成績は超えなくてはという思いもあり、自転車操業的な働き方は変わりませんでした。

ちょうどこの頃、広告代理店最大手の企業のある出来事で働き方改革が進められた時期で、いわゆる過渡期でした。

会社からは早く帰れと言われるが、業務量は減らない。

更に、私も含め、早く帰ることに慣れていない社員ばかりなので、仕事のペースを変えることが出来ず、結局居残りし怒られ、成績も思うように上がらず悪循環。

だんだんと私の中に「このままで良いのか?」という気持ちが大きくなってきました。

住宅営業への葛藤

もちろん周りから見れば、仕事はうまくいってる方だし(2年目も1年目と同程度の成績でした)、良い思いも人よりしていました。

しかし「これが自分のやりたいことか、やるべきことか、自分にしかやれないことなのか」と考えると、なかなか胸を張ってYESと言えない自分がいました。

住宅業界というのは、年々着工件数が減少してます。
人口減少が進んでいるので当然です。
首都圏では新築戸建よりも賃貸やマンションが優勢です。

また今はSuumoカウンターのような広告代理店が間に入ったり、お客さんも割とネットで色々調べてから来店するようになっています。

より一層私が営業マンでなくても良いのではないかと思い始めました。
自分である必要がないというか。

医師になる…??
当時(2年目中盤)の思いをまとめると
・住宅業界を自分の一生の仕事にするのか?
自分じゃなくてもいいのでは?
・自分しか出来ないこと、自分だから出来ること、使命感を感じることをしたい
・妻はいつかは地元の九州に帰りたいと思っている
・九州で体育教師をやってもいいかな。。

そこで私が医師を目指すいくつかの小さなきっかけがありました。

2年目の夏頃、休みを利用して母校の筑波大学に行き、当時の同期や先輩、後輩とテニスをしたり、ご飯を食べたりしました。

そこで同じテニス部だった医学部に通う後輩が「〇〇さん、医者になったらいいじゃないですか、〇〇さんならなれますよ」と。

その当時は冗談半分に聞いていました。
まさか自分なんかが。。

またある日、私の妻の実家の状況を知っている会社の上司から「お前、医者になれって言われないの?笑」とこれまた冗談半分に言われました。
そのときも「まさか自分が
笑。言われませんよ。笑」と返事。

実は私の妻の実家はクリニックを開業しています。その親族に医師を目指す人はいませんでした。

もちろん私は大学時代、今の妻と付き合うときから、そのことは知っています。
ただ私が医師になるなんて、少しも考えたことはありませんでした。

もちろん妻からも、妻のご両親からそのような話を受けたことなど一度もありません。

私たちは東京、首都圏で生活していくつもりでしたし、実際東京で就職活動をしていました。

医師になる!

さきほど挙げた私の思い

・住宅業界を自分の一生の仕事にするのか?
・自分じゃなくてもいいのでは?
・自分しか出来ないこと、自分だから出来ること、使命感を感じることをしたい
・妻はいつかは地元の九州に帰りたいと思っている
・九州で体育教師をやってもいいかな。。

相変わらずこれらをどうやって実現しようかなぁと考えていると

突然ドカーンと名案が頭に降ってきました。

自分が医師になり、妻の実家のクリニックを継がせてもらえないだろうか

このときの衝撃は今でも忘れません。
霧が晴れ、視界が一気にひらける感じでした。
これだ、これしかない、と。
これを実現できれば、一気に前に進める、と。
優柔不断な私ですが、不思議と全く迷いませんでした。
そのときは根拠のない自信に溢れていました。
ある意味盲目的とも言えます。

すぐにその日の夜に妻に相談しました。

妻はまさかそんな提案をしてくるとは全く想像していない反応で、しかし同時に喜んでくれました。

私が退職することも了承してくれ、私を信じてくれたわけです。
ここまでリスクある決断をするからには、それなりの自信があるのだろうし、やれそうな気がする、と背中を押してしてくれました。

今思い返しても、この挑戦を許してくれたことに感謝しかありません。

妻の両親も、私の両親も、まさかの提案に驚きながらも了承してくれました。

本当にいつも周りの人々に恵まれているなと感じざるを得ません。

思い返すと…

このとき社会人2年目の秋頃でした。

この決断が今までの人生史上最大のチャレンジでしたね。
あのとき一気に決断しなかったら、今頃まだ営業マンをしていたと思います。

やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい」とはよく言いますが。
本当にそうだと思います。
心からそう思います。

たとえ望んだ結果にならなくても、それに向かって全力で突き進む過程は、とてもエキサイティングで、そういうチャレンジャーは輝いているなと思います。


この後、結婚、退職へと動いていきます。
会社への報告、予備校探しとやらなくてはいけないことが残っていますのですが…

営業時代と再受験決意までの流れは非常に思い入れが強く、記事が長くなってしまいました^ ^笑
すみませんが、続きは次回に譲りたいと思います。
本当は1つの投稿で収めるつもりでしたが笑
3部作になりそうです。
それでは。

↓第3部更新しました!

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【公開】完結Youの人生。医学部再受験を決めたとき何を考えていたのか。 こんにちは(^^)Youです。 前回、前...

 


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